礼拝説教要約「悲しみは喜びに変わる」(2022/05/22)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所
ヨハネによる福音書16章12~24節 創世記18章23~33節
■説教要約
イエス様と弟子たちの最後の晩餐の場面、弟子たちはイエス様との別れが不安です。「主よ、どこへ行かれるのですか、なぜついていけないのですか?」、「何を話しておられるのか分からない。」心騒がせる弟子たちです。そこでイエス様は私たちに、聖霊を送ることを約束されます。「悲しみは喜びに変わる/心から喜ぶことになる/あなた方は喜びで満たされる」聖霊が私たちを喜びへと導く、という希望のことばです。聖霊は私たちを祈りへと導き、私たちの祈りを神様との親しい交わりへと導きます。
創世記18章のアブラハムの祈りには、神様との親しい交わりがあります。アブラハムはソドムの人を滅ぼさないようにと願います。神様を畏れながらも、神様に向き合って、まるで商売の値引き交渉でもするかのように大胆に語らいます。そして彼の執念によって神様を動かします。アブラハムは神様の働きを共に行う同労者となりました。祈りには力があり、人をも助ける力があるのです。そこには孤独感や虚しさ、寂しさはありません。
讃美歌493番「いつくしみ深い」、これは祈りの歌です。祈りとは何か、そのことを私たちは声に出して歌っています。曲の2番の中で「嘆き悲しみを、委ねて祈ると、常に励ましを受ける、それが嬉しい」とあります。嘆き悲しみは喜びに変わるのです。3番では「この地上での友が一人もいなくなっても、イエス様は祈りに応えて慰めてくださる」。友達のいない悲しさが、慰めを受けて喜びに変わるのです。祈りは独り言ではありません。神様との対話です。神様と聖霊とイエス様との共同作業です。だから喜びで満たされます。この喜びを私たちから奪い去る者はいません。