礼拝説教要約「恵みと平和」 (2025/4/27)を掲載しました
担当 佐藤潤伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
エフェソの信徒への手紙 1章1~2節 民数記 6章22~27節
「恵みと平和があなたがたにあるように」。この手紙にある恵みと平和を願う祈りは、ただ幸せや利益を求めて、どこの誰だか分からない方に祈り願うものではありません。パウロは、「恵みと平和があるように」とまことの神である父なる神に向けて祈りを捧げています。
パウロは、ただ神の御心によって、神から選ばれ遣わされた使徒なのだと言います。神の御心によって、キリスト者とされている私たちは、神の救いに感謝して、神の御心を行い、主イエスに従って生きていくのです。この手紙は、エフェソにある教会が宛先となっています。パウロの後継者たちが、エフェソにある教会を励まし、主にあってしっかりと立って生きていくことを願い、この手紙にあえて「エフェソにいる」を付け加えて、書き送ったのだと思うのです。 「恵みと平和があるように」と、エフェソにいる聖なる者たちが、神の恵みに感謝して、主イエスの十字架の下に一つになり、お互いに祈り合い、支え合って、平和のうちを歩んでいけるようにと、父なる神に祈りを捧げているのです。お互いに祈り支え合うことは、私たちと父なる神の間に立って、今も執り成してくださっている主イエスの祭司としての役割が、私たちに与えられているということです。「恵み」と「平和」は、ただ一方的に神から与えられる救いであり、神との良い関係において与えられる祝福です。神との正しい関係にあって、恵みと平和による祝福を受け続けられるようにとお互いに執り成し祈るのです。主イエスの恵みによって与えられた神との平和は、信仰共同体である教会に与えられています。主イエスが、神と私たちの間に立って執り成してくださっている。大祭司主イエスに倣い、お互いに「恵みと平和があるように」と執り成し祈り、支え合っていきたいのです。