礼拝説教要約「平和を告げ知らせる」(2025/10/26)を掲載しました
担当 佐藤 潤 伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
エフェソの信徒への手紙 2章11~18節 イザヤ書 52章7~10節
かつて異邦人は、神の民イスラエルに属しておらず、神の約束と契約、祝福から外れ、この世にあって希望もなく、神に見捨てられるしかない者としてユダヤ人から見られていました。ユダヤ人も「手の肉による割礼を受けている人々」、ただ表面的に割礼を受けている人々だと否定的に捉えられています。異邦人ばかりでなくユダヤ人もまことの神の民ではありませんでした。
しかし今や、キリストの十字架の死によって、神に近づけられ、まことの神の民とされました。キリストは、十字架の死によってユダヤ人と異邦人を隔てていた「敵意という隔ての壁」を打ち壊し、「律法」を無効としました。両者を一つのものとして平和をもたらしました。平和とは、単なる人間的な和解ではなく、「神との和解」から始まる新しい関係の創造です。神と人との関係が、キリストの十字架によって回復され、人と人との関係も新しくされたのです。
キリストはご自身のうちに、対立していた二つのものを「一人の新しい人」として造り変えられました。主イエスを頭とする「キリストの体」、すなわち教会を形つくる者とされたのです。
「キリストは私たちの平和」であり、ご自身の命をもって「平和の福音」を告げ知らせてくださいました。キリストが十字架の上でご自身の命をささげられたことによって与えてくださった、神の愛と赦しのうちに共に生きる平和です。
私たちは礼拝でみ言葉を聴くとき、復活の主イエスが私たちの只中に来られ、今も平和を告げ知らせてくださっています。
「キリストは私たちの平和」そのものであり、教会は「キリストの平和を現す共同体」です。愛の交わりに生きるとき、そこにまことの平和が実現します。私たちはこの平和を世に告げ知らせるために遣わされているのです。

