礼拝説教要約「平和に役立つこと」(2024/7/21)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ローマの信徒への手紙 14章13節~23節 列王記上 17章8節~16節
預言者エリヤは、神様に示されて、やもめのところへ行きます。神様は、孤児、やもめ、寄留者、よそ者を用いられるのです。最も弱いと思われる人に神様の業は現れる、最も救いから遠いと思われるところに救いは届く。まさかこんな人に、まさかこんなところに、神様はおられます。今も生きておられます。
でも、私たちは神様を信頼できずに、自分たちで強い集団を作ろうとします。正義と自由の王国を自分たちで作り、弱者を切り捨てるのです。もし、そうなれば、イエス様は教会から去っていかれるでしょう。「人間の力でやるがいい。私は弱いものの方へ向かう」と。主のいなくなった教会は虚しく、もっとも惨めで不安な集団となってしまいます。
「平和に役立つことや、互いを築き上げるのに役立つことを追い求めようではありませんか」。平和も、互いに築き上げるのも忍耐が必要です。しかし、言いたいことも言えない息苦しい平和ではありません。神様への信頼と安心のある平和です。私たちは弱くとも、神様は十分に強く、十分に大きいのです。
讃美歌487番「イェス、イェス」。3節には「主の愛された、すべての人が、私の隣り人」とあります。右隣りにいる無口な人も、左隣りにいる癪に触る人も、イエス様は愛し、その人たちのためにも十字架にかかりました。だから排除しないで共に歩もう、と歌います。この歌は、アフリカ伝道に身を捧げた宣教師コルヴァンが作りました。曲は、CHEREPONIというガーナにある小さな町の民謡です。世界中の讃美歌に収められたスタンダード・ナンバーとなりました。小さかったものが大きく、弱かったものが力強く、知られなかったものが世界中に知られる。神様の業の大きさを示すかのようです。