礼拝説教要約「土の器に宝を納めて」(2024/5/26)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
コリントの信徒への手紙二 4章7節~18節 創世記 2章4節~8節
永眠者記念礼拝にあたり、大宮教会121年の歴史の中で天に召された249人の信仰の先達たちを思う。パウロは私たち人間のことを「土の器」と呼んだ。それはパウロ自身のことでもあった。彼には苦難や弱さ、病があった。そして彼には迫害者という過去であった。
しかしパウロは「土の器」に宝が納められ、計り知れない神の力によって生かされていることを宣言する。そして彼は福音を宣べ伝える者となった。
創世記2章によれば、神は人を土の塵で造られた。そして命の息(霊)を鼻から吹き込み、人は生きる者となった。
しかし人間は罪に陥った。そんな人間を神はなおも愛し、救おうとされた。キリストによる救いである。キリストこそ私たちに与えられた宝である。
パウロはこの宝を納めて生きる者の幸いを歌う。「四方から苦難を受けて行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びない」。私たちが苦難と弱さ、死ぬべき現実にあっても、土の器にキリストによる宝が与えられていることを知っている者は「私たちの外なる人が朽ちるとしても、私たちの内なる人は日々、新たにされ」「永遠の栄光」がもたらされるという恵みに生きることができる。
だから私たちもパウロと共に告白する。「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させ、あなたがたと共に御前に立たせて下さる」と。
私たちは「見えるものではなく、見えないものに」目を注ぐ。「見えるものは一時的である、見えないものは永遠に存続する」からである。私たちも先達たちが歩んだように、土の器に宝を納め、天の故郷を仰いで、見えないものに目を注いて信仰の人生を歩み、この神の恵みを証しして歩もう。