礼拝説教要約「命はキリストと共に」 (2025/5/25)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
コロサイの信徒への手紙 3章1~4節 詩編 23章1~6節
「あなたがたはすでに死んで、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているからです」。永眠者記念礼拝にあたり、天にある先達お一人お一人の命が、「キリストと共に神の内に隠されている」ことを心に刻みたい。
ギリシャ・ローマ世界の人々は人が死んで葬られることを「地中に隠される」ことだと呼んだ。そこには死は終わりであり、どうすることもできないという諦めがあった。それはコロサイ教会の信徒にも影響を与えていた。私たちも同様に、この世的な死は終わりだという諦めの理解によって信仰が揺り動かされる。
しかしパウロは宣言する、死は「神の内に隠される」ことで、その命は神の内にある。
このパウロの言葉には三つの希望が込められている。
一つは「キリストと共に」。インマヌエルである主は、死を越えて共におられ、命の恵みで満たす。
二つ目は、神に包まれる。私たちの命は死の時も、神の御手の中に抱かれ、神の愛の中に包まれる。
三つ目は、キリストが再び来られる時、神の内に隠された命は「キリストと共に栄光に包まれて現れる」(復活する)。
この希望はキリストの十字架と復活によって与えられた。私たちは洗礼を受けた時から新しい命がすでに与えられている。
だからパウロは「上にあるものを求めなさい」と告げる。それは私たちが神の子として生きることである。キリストの命を受けた先達たちも、神の子としての信仰の人生を歩んだ。
今日、永眠者記念礼拝にあたり、先達たちを偲ぶと共に、その命が今、神の内に隠され、キリストと共にあり、永遠の命に包まれていることを覚えよう。そして私たちも先達たちの信仰の人生に続き、上にあるものを求め、天の故郷を仰ぎつつ、主と共に歩む日々を送ろう。