礼拝説教要約「内なる人を強める祈り」(2026/1/25)を掲載しました
担当 佐藤 潤 伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
エフェソの信徒への手紙 3章14~21節 エゼキエル書 36章22~28節
これまで語られてきた教えの中心である「神の秘義」、すなわちキリストの十字架によって分断されていた者たちが一つの新しい人とされ、教会として形づくられたという救いの現実を受けて、パウロは教会のために父なる神に祈りを捧げている。その祈りの中心は「内なる人を強める祈り」である。「内なる人」とは、聖霊に導かれて生きる信仰そのものである。
私たちはすでに洗礼によってキリストに結ばれ、神の家族とされているが、なおこの世に生き、罪と悪の力にさらされている。その現実の中で、信仰は揺らぎ、弱さを覚える。だからこそパウロは、聖霊によって信仰が守られ、強められるようにと執り成し祈っている。信仰が強められるとき、キリストは私たちの心の内に確かに住まわれるからである。
キリストが支配してくださるところに、不安や恐れに代わって、キリストの愛が根を下ろす。その愛に根ざして生きることは容易ではない。私たちは自己中心的であり、自分を守るために他者を裁いてしまう弱さがあるからである。しかし、キリストの愛を知り、受け入れるとき、その生き方は安心と喜びに満ちたものへと変えられていくのである。
この愛は、一人で味わうものではない。教会という神の家族の交わりの中で、礼拝を通して、共に知らされ、共に分かち合われるものである。そしてパウロは、「人知をはるかに超えたキリストの愛を知り、神の満ち溢れるものすべてに向かって満たされますように」と祈る。教会の希望は、人間の力や外的状況にあるのではなく、内なる人を強めてくださる神の力にあるからである。弱さを抱える教会を通して、神はなおご自身の栄光を現される。だからこそ私たちもまた「内なる人を強めてくださるように」と祈りつつ、キリストの愛に生かされ、神の栄光を現す教会として歩んでいくのである。

