礼拝説教要約「光の子として歩もう」(2025/9/14)を掲載しました 

担当   熊江秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  エフェソの信徒への手紙 5章6~14節   ゼカリヤ書 14章5c~9節
  
  「あなたがたは、以前は闇でしたが、今や主にあって、光となっています。光の子として歩みなさい」。パウロは私たちを光の子と宣言する。

闇であった私たちは、キリストの光に照らされて、見るべきものを見えるようにしていただいた。しかも私たちはキリストの光を反射することで自らも光となって、隣人を照らす。月は自分では輝くことができない。しかし太陽に照らされて美しく輝き、人々に道を示す。私たちもキリストの光に照らされて、その光を反射して、この世の中でキリストの光を輝かす。

 光の子は、その光によって「あらゆる善と義と真理」という実を結ぶ。「実を結ぶ」は英語ではフルーツである。キリストの光が反射された光の子によって、神の善いこと、神の義、神の真実という果実が実っていく。

 その時、大切なのは「主に喜ばれるものが何かを吟味」することである。「W、W、J、D」(イエスさまならどうするか)というロゴを付けた青年たちのように主の御心を祈り求めるのである。

 さらに光の子は「闇の業に加わらず」「それを明るみに出す」。光が輝く時、闇に隠されていた汚れが明らかになるように、光の子はキリストの光に照らされて、闇の業を明らかにする。それが教会の使命である。

 最後にパウロは光の子の喜びの歌を歌う。キリストを復活させた神は、キリストの復活の光によって私たちを照らす。死の闇にいた私たちはキリストの光に照らされ、新しい命へと導かれ、光の子とされている。

「夕暮れ時になっても光がある」。主が来られた今、人生の夕暮れ時にもキリストの光は輝き、命の水はあふれる。光の子の群れとして、キリストの光に照らされ、すべての人にキリストの光を輝かせ、宣教の使命に仕えよう。

 



  



 

  

 

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