礼拝説教要約「今日という日に励まし合って」(2026/3/15)を掲載しました
担当 熊江 秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヘブライ人への手紙 3章7~19節 詩編 95章1~11節
神の言葉をテーマとしたこの手紙の第一部は、まとめに入る(~4:13)。そのためにこの手紙の説教者は、聖霊なる神の言葉(7節)として、詩編95編を引用する。この言葉は本来の詩編では「あなたがたは今日、主の声を聞きなさい」と命じられる。私たちは心を傾けて主の声を聞くことが大切である。
しかし私たちの現実は「心をかたくな」にしている。
その具体的な例として荒れ野の40年の旅を語られる。「荒れ野で試練を受けた頃、神に背いた時」彼らの心はかたくなになり、神の業を見ながら、神を「試み、試し」た。
そんな民に対して主は怒り、誓われる。「彼らは決して私の安息に入ることはない」。
詩編95編は御言葉を聞く私たちの心がうたわれた歌、礼拝の招きの詩編である。「今日、主の声を聞き」、かたくなな心で御言葉を拒み、安息に入れない歩みをしてはならないのである。
そうならないためにこの説教者は「『今日』という日のうちに、日々、励まし合いなさい」と勧める。「初めの確信を終わりまでしっかりと保つなら、キリストにあずかる者となる」と宣言する。
「キリストにあずかる」は私たちがキリストの恵みを受けると共に、この恵みを分かち合うことである。
教会は分かち合う群れである。私たちの糧である御言葉を分かち合い、神の恵みを分かち合って「『今日』という日に、日々励まし合って」歩む。その中で、私たちのかたくなな心は解きほぐされ、キリストに対する「初めの確信」を持ち続けることができる。
私たちは荒れ野のイスラエルの姿を、私たちへの警告として心に刻み、かたくなな心で不信仰に陥ってしまわないように、共に御言葉を聞き、その恵みを分かち合って歩み、初めの確信を持ち続けて歩んでゆこう。

