礼拝説教要約「主イエスの味方」(2024/9/1)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  マルコによる福音書 9章38節~41節   イザヤ書 42章1節~4節

   

 今日の箇所は、前回の「いちばん偉い者」に引き続いて起こった。ヨハネは「私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである」という主の言葉を聞いて発言した。

「あなたのお名前を使って悪霊を追い出しているものを見ましたが、私たちに従わないので、やめさせました」。

  主の名を使うのなら、主の弟子の仲間に加わるのは当然だ。そうしない者は、主の名を使うべきではないと告げた。

 この箇所を読んだ青年が、自分の学ぶキリスト教主義の学校のことを語った。学校には信仰を持たない生徒、教師が大勢いる。その人々に対して、主イエスを受け入れないのに、この学校で学び、教えるのはけしからんと言う人がいる。その人とヨハネの姿が重なったと語った。信仰がなくても、沢山の人がキリスト教式で結婚式を挙げ、ゴスペルを歌う。クリスマスには、日本中が祝う。その人々に対して信仰者は、どう受け止めるか。私たちもヨハネ的な思いを持ってしまわないだろうか。

 そんなヨハネや私たちに主は告げる。「私たちに逆らわない者は、私たちの味方なのである」。

主は私の弟子であるならば、人をさばくのでなく、味方として受け入れ、共に恵みにあずかるように告げる。

 これは私たちが御言葉をどう聞くかが問われることでもある。御言葉に照らされ、生きるのである。

その生き様を主イエス御自身が示された。主はご自分を十字架にかけた私たちを、敵とすることなく、私たちの味方となって受け入れた。

この主の弟子として、主の御名によって受け入れ合い、一杯の水を飲ませてくれる隣人と喜び合いたい。「この町には、私の民が大勢いる」(使徒18:10)。主の十字架の愛の中で、主の恵みを共に喜ぶ群れとして歩もう。



  



 

  

 

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