礼拝説教要約「主を知るすばらしさ」(2024/10/20)を掲載しました

   

担当   甲賀正彦伝道師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  フィリピの信徒への手紙 3章7節~9節   エレミヤ書 29章4節~9節

   

 この世は能力と業績が大切です。神様も同じように能力と業績で人間を評価するものだとパウロは思っていました。神様の戒めを守ることによって、終わりの日には神様に褒められる。褒めていただけるかどうか、それは自分の努力次第だと。

 しかし、パウロはイエス様と出会って変わりました。それまで築き上げてきた輝かしいキャリア、正義と努力を「損失・屑」だと言います。それは、自分の正義であり、そこから外れるものは滅んでも構わないと思う正義だからです。努力は自分の救いのためであり、自分への愛であり、他者への愛はないのです。だから、それは損失、悪臭を放つ屑です。個人の救いは救いではありません。みんなが救われるから救いなのです。共同体の救い、それは神様への愛と仲間への愛から生まれます。

 パウロは、神様から褒めてもらうためにキリスト者を迫害しましたが、褒められるどころか、神様を迫害していたことを知らされました。彼は自分の正義を捨て去りました。もっと良い正義、他者を愛する正義を知ったからです。それは主を知るすばらしさです。  讃美歌394は「信仰うけつぎ、今日も進みゆこう」と歌います。信仰とはイエス様に大きく頼ることです。固く握りしめた手を緩めること、自分の価値を疑う不安から解放されることです。それが主を知るすばらしさです。私たちが知っているのは、まだほんの一部です。頼るべきイエス様が見えなくなって揺らぐときがあります。信仰の確信はまだ見えません。でも、信仰を持った先輩たちは見ることができます。信仰は与えられますが、その信仰をうけつぐのは人間だからです。イエス様を信頼して、喜びと安心の中を生きぬいた先輩たちが大勢います。その信仰をうけつぎ、今日も進みゆきましょう。



  



 

  

 

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