礼拝説教要約「主を畏れ、主に仕え」(2023/2/26)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所
ルカによる福音書 4章1~13節 申命記 6章10~13節
■説教要約
悪魔は身の周りに溢れています。外側だけでなく、自分の内側にも。悪魔は人間に敵対する者して現れます。
イエス様はイスラエルの民の歴史をこの試練を重ねて克服し、私たちに新たな道を開きました。
この試練は厳しいものでしたが、最大の試練は神様がおられないかのように感じることです。もし、神様が共におられないなら、自分でパンを手に入れるしかない。一人で宣教を始めるしかない。神様の存在を試してみたくなるのです。
しかし、神様はいつもおられます。全てを創造し、自然界の秩序を維持し、人間に自由を与え、全ての管理を委ねらておられます。イエス様は奇跡を用いずに聖書を用いて戦いました。それなら私たちにもできる。悪を治めることができるのです。
誘惑を受ける、このテーマは画家たちに愛され、様々な解釈の作品が生み出されました。どの絵にも共通するのは、イエス様が必ず勝利することです。独自性や個性、奇想天外なテーマを愛する芸術家でも、悪魔にひれ伏すイエス様は描くことはできません。悪魔に支配された絶望の世界は描けません。イエス様を信じない人も、みんなどこかでイエス様の勝利と正義を願っているのです。多くの人はイエス様も悪魔も、どちらも信じることができない不安の道を歩んでいます。
私たちはイエス様を信じています。主の恵みの中を、安心の中を歩んでいます。不安の中を歩んでいる人たちに、私たちは何か伝えることができるのではないでしょうか。
礼拝を終えた後、私たちは伝えるものとして派遣されます。何を伝えるのか、それは平和と安心です。教会の外には不安と迷いが満ちています。私たちは平和を伝える使者として用いられようとしています。