礼拝説教要約「主の恵みに触れる」(2024/2/4)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(新共同訳)
マルコによる福音書 5章21節~43節 詩編 30章2節~6節
■説教要約
十二年間出血が止まらない女が、主イエスの衣に触れた。「汚れ」として忌み嫌われた病に苦しむ彼女は、正面から主に願うことができず、後ろからそっと主の衣に触れた。その時、病はいやされた。
しかも主イエスは自分に触れた人を探し求めた。ひれ伏し、すべてありのまま話したこの女に、主は「娘よ」と呼びかけ、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と祝福を与えた。
主イエスを信じる者は、この女のように主の問いに対して、自分のことを申し上げ、信仰を告白しなければならない。その時、祝福が与えられる。祝福を受けた彼女の喜びはどんなに大きかっただろう。これが主のいやしである。この女は伝説ではベロニカと呼ばれる。主が十字架を担って歩まれた時、自分のハンカチで主の御顔をぬぐった女である。背後からそっと主の衣に触れた女は、人の目をも恐れず進み出て十字架の主に仕える者となった。この祝福は私たちにも与えられる。
その時、会堂長ヤイロの家から使いが来て、彼の娘の死が知らされた。しかし主はそれに動揺することなく「恐れることはない。ただ信じなさい」とヤイロを励ました。そして主は娘に「タリタ、クム」と宣言すると「すぐに起き上がって、歩きだした」。これは朝、親が娘を起こす時の日常的な言葉である。主は愛する娘を起こすように、少女を死の淵より目覚めさせた。
主を信じ続ける時、私たちは主の栄光を見る。主の奇跡は、主の愛と信仰が一つになってあふれ出した神の力である。それは主の十字架と復活によって私たちに実現している。私たちの日常生活の中に奇跡は起こっている。主の愛と信仰の中で、私たちは今日もいやされ、今日も復活の命に生きる。主の恵みに触れ、この月も歩もう。