礼拝説教要約「主の復活から始めよう」(2026/4/5)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヨハネによる福音書 20章1~18節  詩編 30章2~6節 

 イースターから新年度が始まった。イースターからいいスタートを。マグダラのマリアは主の墓の石が取りのけてあるのを発見し、シモン・ペトロと主の愛しておられたもう一人の弟子に伝えた。二人は主の墓に走っていき、まずペトロが墓に入った。そこには亜麻布と覆いが置いてあった。愛弟子も入ると「見て、信じた」。この福音書では「見る」ことと「信仰」が結びつけられてきた。しかしこの時「聖書の言葉を二人はまだ理解していなかった」。二人はまだ主の復活を理解していなかったが、復活信仰の芽生えが確かにあったと言える。新しい時がすでに始まっている。

しかし復活の主が最初に出会われたのはこの二人ではなく、墓の外で泣いていたマグダラのマリアであった。マリアは墓を見つめて泣いていた。それはマリアが死の方向を向き、死の力に支配されて泣いていたということである。マリアは天使の呼びかけにも応じなかった。

しかしそんなマリアを復活の主は見ておられた。そして背後から「マリア」と呼びかけた。死の方向を向いて泣いていたマリアは、復活の主に名前を呼ばれることで、主の方へと向きを変え、「ラボニ」(私の先生)と答えた。復活の主は罪と死の現実の中で嘆き悲しむ私たちの背後から名前を呼んで下さる。そして私たちをご自分の方に向かせ、救いと命と喜びへと導いて下さる。

そして主はマリアを主の復活の証人として弟子の元に遣わす。マリアは復活の主の御言葉を伝えた。この後、マリアは登場しない。出会いは一度だけだったかもしれない。しかしマリアは復活の主を見続けている。信仰によってマリアは主と出会い続けている。 「夕べは涙のうちに過ごしても、朝には喜びの歌がある」(詩編30:6)のである。

 



  



 

  

 

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