礼拝説教要約「主の復活」(2025/11/16)を掲載しました
担当 熊江秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マルコによる福音書 16章1~8節 詩編 16章1~11節
主の復活を最初に知らされ、証人となったのは女性たちだった。ユダヤ社会では女は証人として認められなかった。しかしある学者はそこにこそ主の復活の信憑性の証拠があると言う。
マグダラのマリアたちは日曜日の朝早く主の墓へ行った。しかし墓は空っぽ。そこに若者(天使)が座り、十字架につけられた主が復活されたことを告げた。十字架と復活は主が三度予告したことだった。しかし主の死に直面した時、その御言葉を失ってしまった。私たちも試練に直面する時、御言葉を失ってしまう。その最たる時は死に直面した時である。それが私たちの現実である。
しかしそんな女性たちに天使は「あの方は復活なさってここにはおられない」と告げる。「復活なさって」は受け身形。主の復活は神による御業ということである。さらに天使は女性たちに主の復活とガリラヤでの再会をペトロと弟子たちに告げるという使命を与える。このことを再び告げようとしたことは主の深い愛による。弟子たちは主を見捨てて逃げた。ペトロは主を3度拒絶した。しかし主は彼らを見捨てない。
それでは女性たちはどうしたか。墓から逃げ出し、震え上がり、正気を失って、恐れて何も言わなかった。この福音書は元々この8節で終わっていた。迫害等で未完だったのかもしれない。しかしそこには深い意味がある。主の復活は恐るべきことで、それを神が成して下さったということである。
そしてその恐れに震える者と復活の主は出会われる。後の教会はマグダラのマリアに復活の主が出会ったことを書き加えた。その時、彼女の心の目は開かれ、主の復活を「知らせる」(ルター訳:宣教する)者とされた。私たちも聖霊によって復活の主と出会い、心の目を開かれて、証人としていただこう。

