礼拝説教要約「主の弟子として歩む新年」 (2025/1/5)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヨハネによる福音書 1章35節~51節 創世記 28章10節~15節
新年礼拝に、主イエスと弟子の出会いの箇所が与えられた。この出会いはイエスに対する「見よ、神の小羊だ」という洗礼者ヨハネの証しから始まった。この証しをヨハネの弟子のアンデレともう一人が聞いた。
二人は主イエスに「どこに泊まっておられるのですか」と問う。「泊まる」には「留まる」「つながる」という意味がある。ゆえに「あなたは何者か」という主イエスの本質を問う言葉である。主は「来なさい。そうすれば分かる」と答える。彼らは「付いて行って」「見て」「イエスのもとに泊まって」、主につながる者となった。主の弟子とは「来なさい」という主の招きに応えて主のもとについて行き、主とつながる者である。
そして主とつながった弟子は主を証しし、隣人を招く。
アンデレは兄弟シモン・ペトロに「私たちはメシアに出会った」と証しし、ペトロを主のもとに招く。そしてペトロは主イエスによって「ケファ(岩)と呼ぶ」との宣言を受ける。アンデレは地味な弟子であるが、主は彼を用いてペトロを弟子とした。
主との出会いはさらに広がる。主はフィリポを招き、その証しによってナタナエルを弟子とする。ナタナエルはナザレのイエスに偏見を持った。しかしフィリポが「来て、見なさい」と主の所にお連れした時、ナタナエルは敬服し、(旧約)聖書を学ぶ彼にとって最高の言葉で呼んだ。しかし主はさらに言う。「もっと大きなことをあなたは見る」。これは創世記28章のヤコブが見た夢を、現実のこととして見るということである。主イエスによって天が開き、天と地が結ばれて、天の栄光がこの地上にあらわれた。それは滅ぶべき者が永遠なる方につながることである。私たちも主の弟子として、この一年を歩もう。