礼拝説教要約「主に香油を注いだ女」 (2025/7/6)を掲載しました

担当   熊江秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  マルコによる福音書 14章1~9節   サムエル記上 16章12~13節
  
 主の受難物語の導入が与えられた。主の殺害計画と主に香油を注ぐという対照的な二つの主の死の準備の箇所である。

 主の殺害計画は、出エジプトを記念する救いと命の祭の二日前に立てられた。しかもその祭を司り、御言葉を教える人々によって。このことを見過ごしてはならない。私たちも主を十字架につける者であることを忘れることなく、悔い改めなければならない。

 しかしその闇の中に光を放つのが、主に香油を注いだ女の出来事である。主は「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」と宣言した。この女は自分の命と同じくらい大切な香油を惜し気もなく主に注いだ。

 主に香油が注がれたことには二つの意味がある。主イエスが王であり、メシア(油注がれた者)である証し。もう一つは主の葬りの準備。しかも復活の命の香りがあふれる葬りの準備となった。

 女は自分の行為が主の葬りの準備となるとは思っていなかった。ただ主の愛に対する感謝と献身として、香油を捧げずにはいられなかった。この女は私たちの姿である。主の恵みに応える私たちの献身の姿である。

 しかしこの女に対して、人々は、それを売って貧しい人に施すべきではないのかと憤慨した。それに対して主は 「私はいつも一緒にいるわけではない」と、十字架の主と向き合う時の大切さを告げた。私たちはそれを何よりも大切にする。そしてその時、私たちに隣人と共に生き、愛に生きる力が与えられる。

 主はこの女は「できるかぎりのことをした」と言う。それは「美しい」と訳せる。それは献身の美しさである。献身の美しさは闇の中で美しく輝く。この女に続いて、私たちもそれぞれの香油を捧げ、献身の道を歩もう。

 



  



 

  

 

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