礼拝説教要約「主と共に生きる人」(2023/1/29)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所
ルカによる福音書 21章1~4節 ハガイ書 2章1~9節
■説教要約
「貧しいやもめ」は、他の人の献金額と自分の献金額を比べません。自分は少額、他の人は高額。そんなことを気にしていたら彼女は献金できないでしょう。彼女は世間の目を気にしません。献げる姿を見て欲しいとも、見ないで欲しいとも思っていません。評価を求めません。
神様は言われます「銀は私のもの、金も私のもの」と。全てを創造された神様です。私たちの体も神様のものであり、金も銀も神様のものです。彼女は神様にお返しをしているのです。
やもめの献金額は少額でしたが、全財産でした。それは彼女の生活を、命を献げたということです。これは誰も真似できない高額な献金です。規格外です。常軌を逸しています。
イエス様もそうでした。この方は全ての人の罪を背負い、一言も言い訳をしないで、十字架に向かい、自らを贖いの献げ物としました。多くの人が正しい者とされるために、命を捨てました。そして戦利品としておびただしい人を取り分として受け取りました。規格外、常軌を逸しています。
彼女の献金は自由でした。他者の目から、評価から、金額の大小から、明日の生活の心配から。私たちはこれらに対して不自由です。彼女を守る人はいなくなったけど、主が共にいてくださる。その確信で彼女は自由でした。
私たちの献金は、周りの人の目を気にする悲しい献金です。出し渋りする臆病な献金です。そんな悲しく臆病な私たちのためにイエス様は十字架についてくださいました。常識を超え、不可能を超えて、大きなことをしてくださいました。私たちのために。私たちはその恵みの大きさに感謝し、大きすぎてお返しできないことに痛みを覚えながら献金するしかありません。