礼拝説教要約「ペトロの弱さ」(2025/9/7)を掲載しました 

担当   熊江秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  マルコによる福音書 14章66~72節   創世記 4章8~15節
  
  ペトロは主イエスの予告通り、3度主を否んだ。聖書は4福音書全てにそれを記す。それはペトロを始め、私たちは、弱さを持つにもかかわらず、主の愛と赦しによって立つことができることを示すためである。

ペトロは、主が捕らえられた時、一度は逃げ出しつつも、遠くから従い、大祭司の中庭まで行った。その時、召し使いの女が「ナザレのイエスと一緒にいた」と指摘する。ペトロはそれを否定する。さらにその後「あの連中の仲間だ」と指摘される。するとペトロは「呪いの言葉さえ口にしながら」主を拒否する。その時、2度目の鶏が鳴いた。ペトロは「今夜、鶏が2度鳴く前に、あなたは3度、私を知らないと言うだろう」との主の言葉を思い出して「泣き崩れた」。

 その時、主はペトロの姿を見ておられた。主は裁判の偽証に対してだけでなく、ペトロの裏切りをも黙って見ておられた。主は沈黙のまなざしをもって、ペトロに語りかけた。それはペトロの弱さと罪を赦す愛のまなざしであった。ペトロは主の言葉を思いつつ泣いた。「私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った」(ルカ22:31)。

誘惑にさらされ、心弱くなるペトロのために、主はいつも祈っていた。だからペトロはこの時、心から泣いた。そしてこの彼は主の愛のまなざしの中で変えられた。言い伝えによればペトロは、最後はローマ教会の指導者となり皇帝ネロの大迫害の中、逆さ十字架で殉教した。彼の足は何度もつまずいた足であった。しかしこの彼の足を支え、清め、立たせたのは、主の愛と赦しのまなざしであった。そして彼の信仰の上に教会が建てられた。  主を否んだペトロは、主の愛のまなざしの中、立ち上がった。私たちもこの主のまなざしの中、心を高く上げこの秋を歩もう。

 



  



 

  

 

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