礼拝説教要約「イエス様ってどんな人?」(2024/10/13)を掲載しました
(教会学校との合同礼拝)
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マタイによる福音書 16章13節~20節 イザヤ書 43章1節~5a節
イエス様は弟子たちに「人々は私のことを何者だと言っているか」と尋ねた。弟子たちが様々な答えをすると、「あなたがたは私を何者だと言うか」と尋ねた。ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白すると、イエス様はとても喜ばれた。
その後、イエス様はエルサレムへの十字架の旅に出る。そしてご自分がどんな救い主かを示された。十字架で殺される。それがイエス様の救い主としての姿であった。イエス様はすべてをささげて、私たちに救いを与えて下さった。
このイエス様の姿が込められた童話に「幸福な王子」がある。
なくなった王子の像が町の高台に建てられた。宝石や金がちりばめられた美しい像で、しかも王子の像は心を持っていた。
高台から町の闇を見た王子は、ツバメに手伝ってもらい、体の宝石や金をはがして、人々に届けさせた。町の人々に喜びがあふれていった。
反面、すべてを失った王子の像は取り壊されてしまう。そこにはツバメの死骸もあった。しかし神は王子とツバメに目を留め、天国に引き上げた。
作者オスカーワイルドはイエス様のお姿を思いながら、この「幸福な王子」を書いたと言われる。自分の体をささげて、人々を救おうとした王子は、自分の命を捨て、私たちに救いを与えたイエス様の姿である。
ペトロの告白の後、イエス様の約束通り、その告白の上に教会が建てられた。教会はツバメのようにイエス様の愛と命を届ける。
イザヤ書で神は4つの愛を宣言された。「あなたを創造した」「あなたの名を呼んだ」「あなたを贖う」「あなたと共にいる」。この約束はイエス様によって実現した。この愛をいただき、私たちも主を告白して、イエス様の愛を届ける使命に仕えよう。