礼拝説教要約「わたしたちこそ神の家」(2026/3/8)を掲載しました 

担当   熊江 秀一 牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ヘブライ人への手紙 3章1~6節  出エジプト記 40章17~38節 

 前回、大祭司イエスについて語ったこの書の説教者は「イエスのことを考えなさい」と語る。見えないイエスを信仰の目を持って「使徒」「大祭司」と仰ぎ見るのである。

イエスは神が遣わした「使徒」である。それがモーセと対比して語られる。モーセは「神の家全体にわたり忠実であった」。同様にイエスは「ご自分を任命した方(父なる神)に忠実であった」。しかもイエスはモーセに勝る。モーセは神の民の家に属する一員であったが、イエスは神の御子として、神の家を建て忠実に治める方だからである。私たちは神の使徒イエスによって、神の国へと招かれ導かれる。

さらに主イエスは、大祭司としてご自分を犠牲にし、私たちの罪の贖いを成し遂げる。「天の召しにあずかっている」は聖餐にあずかることである。私たちは主の裂かれた肉、流された血、聖餐にあずかる「聖なるきょうだい」である。

そして説教者はイエスを「キリスト」と呼びつつ、「わたしたちこそ神の家」と宣言する。

この「わたしたち」とはまず教会。教会は神が住む家であり、私たちの真の家である。さらに「わたしたち」は教会に連なるキリスト者一人一人でもある。私たちは神の家である。

この言葉に先立ち「もし確信と希望に満ちた誇りを持ち続けるなら」と説教者は語る。これは信仰を奮い立たせる言葉である。この「確信と誇り」は自分に対して持つのではなく、キリストに対して持つ。洗礼と聖餐、御言葉によって、私たちはキリストに対する確信と誇りを持つ。使徒であり大祭司であるイエスを仰ぎ見つつ、キリストに対する確信と誇りを持ち続けるのである。

「わたしたちこそ神の家」との御言葉を心に刻み、「確信と希望に満ちた誇りを持ち続ける」群れとして歩もう。

 



  



 

  

 

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