礼拝説教要約「まことの光が世に来た」 (2024/12/8)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヨハネによる福音書 1章6節~13節 イザヤ書 60章1節~5節
アドベント第二主日を迎えた。クリスマスは「まことの光」である主イエス・キリストが「世に来て、すべての人を照らす」出来事である。「まことの光」は真理の光、光の中の光。だれもその光から漏れる者はいない。
しかし「世」はキリストを受け入れなかった。「世」は「コスモス」。神が造った秩序ある世界である。しかし世の秩序は人間の罪によって崩壊してしまった。
なぜ世の人はまことの光であるキリストを受け入れなかったのか。それは人々が自分の光(栄光)を輝かることを求めたからである。その時、神の光は必要ない。むしろ邪魔になる。
しかしどんなに自分の光を輝かしてもそれは一時的にすぎず、まことの光ではない。そして自分の光が消える時、私たちは闇に突き落とされてしまう。どんなに成功しても、富を得ても、まことの光に照らされなければ、それはむなしく一時的である。
まことの光を受け入れるために大切なのは自分の光を消すことである。自分をむなしくして、まことの光を仰ぐのである。星を見る時、自分の明かりを消して見るように。毎週の礼拝とはその時である。そしてクリスマスとはその時である。
洗礼者ヨハネもそうであった。人間的に偉大な彼は、まことの光の前で自分をむなしくし、光を証しする者として歩んだ。
マリアの夫ヨセフもそうだった。婚約中のマリアの妊娠を知った彼は、御言葉の前に黙って妻と胎の子を受け入れた。
まことの光に照らされ、キリストを受け入れる者は「神の子となる権能」が与えられる。だからクリスマスに自分の光を消して、すべてを主に委ね、まことの光キリストに照らしていただこう。自分に神のスポットライトが向けられていることを喜び、まことの光に照らされて歩もう。