礼拝説教要約「これが道、ここを歩く」 (2025/2/16)を掲載しました

担当   甲賀正彦牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  マタイによる福音書 5章17節~20節   イザヤ書 30章18節~21節
  
 讃美歌552番、556番、は「学校」の2曲です。でも、学校専用、若い人専用の歌ではありません。教会で歌うのもふさわしいのです。教会も学ぶのです。老いも若きもなく、新来も常連も関係なく、優も劣もない。度量の広い開かれた学び舎なのです。

 聖書は律法を教えます。律法とは何か? まず、第1に十戒。第2にモーセ5書(創・出・レビ・民・申命記)。第3に律法と預言者(旧約聖書全巻)。第4に口伝律法、律法学者の律法。この口伝は成文化され、ミシュナー、タルムードとして膨大な巻き物となりました。

 この口伝律法が問題でした。あまりにも細かい規則が作られ、悲壮に、陰険になりました。学者たちは、律法を破る人を糾弾しました。イエス・キリストは死に値する犯罪人である、と決めつけました。しかし、イエス様は律法を曲げたり、緩めたりしていません。律法の原則を大切にします。その原則は、愛です。愛とは、神様の戒めに従って歩むこと。「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に集約されます。その原則の義は、律法学者やファリサイ派の人々の義にまさるのです。

 教会は、評価、採点をしません。それは教えと学びの基準が「愛」だからです。愛は数値化できません。優劣がつけられない。比べることができません。

 学ぶと人は成長します。知らなかったことを知ることは喜びです。新しいことを知ると人は元気になります。教会にいる人が元気で若々しいのは学んでいるから。教会には発見、成長があります。学ぶことをやめたら、発見の喜びはなくなり、成長は止まり、希望がありません。

 教会では、最も偉大な教師イエス様が今日も教えておられます。その人に合った教え方で、その人に合ったタイミングで、心の状態に合わせて、共に苦しみ、共に喜び、教え続けてくださっています。それは、私たちの学びの道、神様の道です。「これが道」、ここを歩いていきましょう。



  



 

  

 

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