礼拝説教要約「これからを生きる、神と」 (2025/1/26)を掲載しました

      講壇交換礼拝

担当   長村亮介牧師 (鴻巣教会)

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  ローマの信徒への手紙 8章26節~30節    エレミヤ書  29章11節
  
 NHKの「ドキュメント72時間」という番組があります。ある回では、タクシードライバー歴30年以上の男性が過去の浮気が原因で離婚し、今も後悔と孤独を感じて生きている姿が描かれています。また、隅田川沿いの遊歩道で取材した70歳前後の男性は、亡くなった妻にもっと優しくすべきだったと悔やんでいました。「後悔」は辛いことだけれども、その前よりも後の方が人間として良くなるのではないかとわたしには思われました、

 聖書に放蕩息子のたとえ」があります。放蕩息子が全てを失った後に父親の元に戻り、許されて新たな人生を始める話です。この話は、過ちから取り返しのつかない大きなものを失い、人生の危機に遭遇する時、わたしたちには人間として真実に成長する機会があることを思わされます。

 しかし、神さまの愛とご計画は、神さまが私たちの苦しみを共にして、成長と希望をもたらしてくださることではないかと思われるのです。神の愛がどれほど強いものであるか使徒パウロの「ローマの信徒への手紙8章26~30節」から窺えます。

 あるいはアブラハムとモーセについても、神がまず彼らを選び導いて、その使命と共に人間的に成長させておられることを思います。これらのことは、神さまのご計画に従って生きることが私たちにとっていかに重要であるかを示しています。

 そして、エレミヤは神の計画が私たちに希望と未来を与えるものであることを語り、わたしたちが神さまの愛と導きに支えられ、未来に向かって生きることの大切さを述べています。神さまが私たちを愛し、導いてくださることに気づくことは、人生の苦しみや後悔を乗り越えて成長するための力となります。そして、神の愛を知ることが、私たちの「これから」を生きる希望となるのです。神の深い愛に支えられ、「これから」を神さまと共に歩むことができます。
 



  



 

  

 

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