礼拝説教要約「あなたがたは神の住まいである」(2025/11/23)を掲載しました 

担当   佐藤 潤 伝道師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  エフェソの信徒への手紙 2章17~22節   エゼキエル書 37章24~28節
  
 教会が「神の住まい」とされているという恵みの現実が語られている。これは、エゼキエル37章27節にある、捕囚の民への「神殿」回復の約束の実現である。その実現は、エルサレム神殿という目に見える建物ではなく、キリストにあって神と民との関係が回復し、異邦人を含むすべての人が一つの神の民とされるという新しい仕方で与えられている。この救いが、キリストの十字架によってすでに実現している現実として語られている。キリストの十字架によって、敵意は滅ぼされ、神と人、人と人との和解を完成された。聖霊によって私たちは神に近づき、礼拝し、神と共に生きる者とされている。

 したがって教会はいつか神の住まいになるのではなく、すでに聖霊において神の住まいである。しかし現実の教会には弱さや対立もある。エフェソの教会もまた、異邦人とユダヤ人の間に隔てがあった。それにもかかわらず「あなたがたは神の住まいである」と言われている。これは信仰によって受け取る恵みである。

 教会はキリストをかしらとする一つの体である。その土台は、「使徒と預言者」の言葉、すなわち旧新約聖書であり、その中心は主イエス・キリストである。ゆえに聖書はキリストを中心に読むことが求められている。「使徒信条」「ハイデルベルク信仰問答」は、キリスト中心に聖書を読むための手引きとなる。

教会が「神の住まいである」根拠は聖霊である。聖霊は、私たちに信仰を与え、キリストに結びつけ、互いを一つの体として建て上げる。私たちの弱さや不完全さにもかかわらず、聖霊が働かれるゆえに教会はすでに「神の住まい」とされている。この恵みの現実を信仰によって受け取り、神の民として、キリストを中心とした交わりの中に生きる、ここに「あなたがたは神の住まいである」ことがすでに現実となっている。 

 



  



 

  

 

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