正しい者は誰か(2021/1/17) 熊江秀一牧師
「正しい者は誰か」
詩編14章1~3節/ローマの信徒への手紙3章9~20節
熊江秀一牧師
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ローマの信徒への手紙の第一部(1:18以下)の結部が与えられた。パウロはこれまで以上に厳しく私たちの罪の現実を指摘する。「わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません」「ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪の下にあるのです」。この「罪」は単数形である。全人類は「罪」に縛り付けられ、「罪」から逃れることができる者はいない。
パウロはこの罪の下にある人間の現実を、旧約聖書を引用して語る。「正しい者はいない。ひとりもいない・・」詩編14編を始めとする引用である。パウロはこれを通して、神と人、人と人、自分自身という関係の破れを語る。また口、足、目という具体的な体の部分と共に罪を語る。この罪の現実はすべての人間にあてはまるのである。
そしてパウロは最後に、第一部で語ってきた律法を持ち出して結論づける。「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない。律法によっては罪の自覚しか生じない」。第一部の最後にパウロが「罪の自覚を生じさせる」という律法の働きを告げたことは注目できる。「すべての人の口がふさがれて、神の裁きに服するために」神は律法を与えた。
しかしユダヤ人は律法によって沈黙するどころか雄弁になった。彼らは他人を裁くために律法を用いた。私たちはどうだろうか。
罪深い上に、その罪を自覚できない私たちは、本来ならば神の怒りを受け、裁かれて当然であった。しかし神は罪人である私たちの救いのために主イエスを与えて下さった。今や、私たちは主の十字架によって、自分の罪を知り、悔い改めへと導かれる。
私たちの罪は深い闇の現実である。その現実を自覚しつつ、私たちの唯一の救い、主の救いの道を歩もう。