平和があるように(2020/08/30 熊江秀一牧師*説教音声あり
「平和があるように」
創世記2章4b~8節/ヨハネによる福音書20章19~23節
熊江秀一牧師
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復活物語の第二幕が与えられた。この箇所にはヨハネのペンテコステという面もある。
「週の初めの日の夕方」弟子たちはユダヤ人を恐れて、家に鍵をかけていた。彼らは主の復活の知らせを受け入れることができず、恐れていた。彼らは家に鍵をかけたように、心を閉ざしていた。その姿は私たちの姿でもある。
しかしその弟子の真ん中に復活の主が立たれた。硬く閉ざされた心のただ中にも来て、真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」(シャローム)と告げた。これは挨拶と共に、神の平和と平安の宣言である。さらに復活の主は「手とわき腹をお見せになり」ご自分をさらけ出す。その主の愛により閉ざされた弟子たちの心は開かれてゆく。彼らは「主を見て喜んだ」。重ねて主はシャロームと告げる。
主の二度のシャロームにはさまれて、主の愛により弟子の心は開かれ、喜びに満たされていった。復活の主は私たちの真ん中に立って、私たちの心を開き、シャロームを与える。
そして復活の主は弟子に使命を与え、遣わす。彼らは主の働きを継承する者として遣わされる。しかも遣わされた先に主はおられる。宣教「ミッション」は「派遣された」という意味である。教会に連なる者は主の「ミッション」に派遣される。その先頭に主がおられる。
さらにその時、復活の主は聖霊を与える。主の弟子は聖霊を受け、新しい者とされて派遣される。 最後に主は、教会と弟子に与える権能を明らかにする。それは主の名による「罪の赦し」である。プロテスタント教会においては信徒もその権能が与えられる。私たちは執り成し合い、罪の赦しに生きる群れである。復活の主のシャロームの中、聖霊を受け、主の使命に遣わされよう。