天の故郷(2021/11/14)熊江秀一牧師
■聖書箇所:
フィリピの信徒への手紙3章17節~4章1節
詩編16編7~11節
■説教要約:
「わたしたちの本国は天にあります」とパウロは宣言する。「本国」は国籍、故郷とも訳せる。帰るべき故郷を知る人生の旅は希望にあふれる。
「本国」は「市民権」という意味もある。先達の歩みを振り返る時、神の国の市民としての使命を果たされて、天の故郷にお帰りになったことを思う。
神の国の市民権を持つ者が果たすべき最も大切なことは礼拝である。先達たちは礼拝に生きた。その歩みに続きたい。
それでは私たちの現実はどうか。パウロは、自分の本国が天であることを忘れ、キリストの十字架に敵対している人々があまりに多いと涙ながらに語る。
それは信仰者以外と言うよりも、信仰者でありながらキリストの十字架を否定する生き方をしている人のことである。私たちの問題である。彼らは「腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていない」。自分の欲望を満たすことが人生の目標となり、主に委ねて生きることにもの足りなさや不安を覚え、欲望を神としている。パウロはその行き着くところは滅びであると涙ながらに叫ぶ。
そしてパウロは涙と情熱を込め、私に倣うものとなり、私たちを模範として歩んだ人々に目を向けるようにと勧める。これはパウロをはじめとする先達たちの信仰の人生に目を留め、手本として、私たちも人生を歩むことである。先達たちの人生を通しての証しに学ぶのである。
しかもパウロは天の国は遠くにあるのでなく、それからキリストが来て下さるという。私たちは主が再び来られる時を待ち望み、天を目指して信仰の旅を歩む。
キリストの再臨の時、私たちは先達と共に主の栄光の体を受け継ぎ、主の命に生きる者となる。先達に続いて信仰に生きる人生を歩もう。