主イエスの十字架の死による救い(2020/07/19 熊江秀一牧師)*説教音声あり

「主イエスの十字架の死による救い」

詩編68章2~11節/ヨハネによる福音書19章28~30節

熊江秀一牧師

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主は十字架の上で「渇く」と言われた。これは聖書 の言葉の実現であった(詩編 22:16、同 69:22)。 この箇所の「実現した」は「成就した」とも訳せる。 主の十字架は、聖書の成就であり、神の言葉の完成で ある。

「渇く」は私たち、世界の現実である。神はすべて 与えて下さっているのに、私たちは罪ゆえに渇いて いる。神の恵みを見失い、その恵みを分かち合うこと を忘れて、飢え乾き、滅びに向かっている。「日本は 御言葉の飢饉である」(マザーテレサ)。その渇きを主 が十字架で経験された。

この時、人々は主に酸いぶどう酒を飲ませた。用い られたヒソプは出エジプトの時、犠牲の小羊の血を 塗り、神の災いを過ぎ越す時に用いられた。この記念 の過越祭の準備の日、犠牲の小羊が屠られる時刻に、 ヒソプを用いて赤いぶどう酒が十字架の主に向けら れた。それは主が世の罪を取り除く神の小羊であることを指し示す。

主は十字架で最後に「成し遂げられた」と言われ た。口語訳聖書の「すべてが終わった」から踏み込み、 原語に近い言葉となった。ある人は「すべて良かっ た」と天地創造の神の言葉と重ねて訳す。主は死に際 し、神の救いの計画が完成し、すべて良かったと宣言 された。 さらにそれは神の栄光(17:4)、勝利の凱旋を も意味する。「頭を垂れて息を引き取られた」はすべ てをなし終え、枕に身を横たえる姿である。「息を引 き取られた」は、霊を引き渡して、父なる神の元へ凱 旋した姿である。神の救いの計画を成し遂げられた 主はすべてを父なる神に委ねて、栄光のうちに勝利 の凱旋をした。 主が十字架で死なれた日はグット・フライデイ。救 いを完成した主をほめよう。

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