ペトロの裏切り(2020/05/17 熊江秀一牧師)*説教音声あり
「ペトロの裏切り」ホセア書11章8節~9節/ヨハネによる福音書18章12節~27節
熊江秀一牧師
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捕らえられた主イエスは裁判にかけられた。この裁判はまず死刑ありきの裁判だった。「一人の人間が民の代わりに死ぬほうが好都合だ」(14節)。この言葉によって最高法院は主イエスの殺害をすでに決めていたのである(11:53)。
「都合」(14節)という言葉を思う。私たちは自分の都合で物事を考え決める。しかしもし自分の都合だけで生きるとしたらどうなるか。その時、聖書は「だれも健全な教えを聞こうとせず、真理に背くようになる」(Ⅱテモテ4章)と告げる。主イエスは人間の都合によって捕らえられ、裁かれ、殺された。
それはペトロもそうだった。彼は主の予告の通り、その夜、鶏が鳴く前に3度主イエスを拒絶してしまう。ヨハネの告げるペトロの拒絶の言葉は他の福音書と異なり「違う」である(原文は「わたしでない」)。これは主の逮捕の時の3度の「わたしである」と正反対の言葉である。ペトロが3度「わたしでない」と拒絶した姿には、主を拒絶すると共に自分を否定する姿が込められる。ここには自分の都合に生きる者の姿が込められている。
この後、ペトロは主の復活の場面まで登場しない。それは自分の都合に生きる私たちが問われていることである。
しかしこの拒絶を主は裁判を受けながら見ておられた。その上で主はペトロのために、私たちのために十字架の道を歩まれた。そして復活の後、主はペトロと出会い、3度「わたしを愛するか」と問う。ペトロが主の弟子として歩み、自分自身を回復できるようにして下さった。
自分の都合に生き、主を拒絶し、自分を否定してしまう私たちは、ただ主の十字架の愛によって罪を赦され、新しい者としていただける。その招きに応えよう。