ザカリアとエリサベト(2020/12/6) 熊江秀一牧師
「ザカリアとエリサベト」
出エジプト記14章13~14節/ルカによる福音書1章5~25節
熊江秀一牧師
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ルカによる福音書1章5~25節、出エジプト記14章13~14節
ルカの降誕物語に沈黙を体験する老人が登場する。洗礼者ヨハネの父、祭司ザカリアである。しかも彼は御言葉を信じることができず、口を利けなくされる。しかしそこには深いメッセージがある。
ザカリア夫妻には子どもがなかった。彼はその悲しみを振り払うかのように祭司としての務めに仕え、妻と共に神の前に正しく、祈りつつ生活していた。
そんなある日、祭司ザカリアはくじで、神殿の聖所で香をたく務めがあたった。これは祭司にとって一生に一度あるかどうかの光栄ある務めであった。
しかしその務めの途中、天使が現れ、彼に神の計画を告げる。それは男の子が与えられること。その子が救い主到来の備えをする、神の前に偉大な人となるという「喜ばしい知らせ」であった。神はザカリア夫妻の悲しみを知り、その祈りを聞いて下さった。
しかしザカリアはこの時、この知らせを信じることができなかった。そして彼は口が利けなくされてしまった。
これはザカリアの不信に対する裁きである。しかしこの出来事は裁きを越えた、神が与えた沈黙の祈りの時でもある。
私たちも神から理解できない問いを与えられることがある。その時、信じられないながらも沈黙して聞き、神と向き合うことが大切である。
「沈黙と信仰の間には、ある種の関係が存在する。沈黙の中ではじめて、人間は神の秘儀と出会う」(マックス・ピカート)。
ザカリアは沈黙の中で神と向き合い、神の救いのご計画を知らされる。この沈黙が解かれた時、彼の口から賛美があふれた(68~79節参)。
ザカリアは沈黙の末、主を待ち望み、その喜びにあふれる者とされた。このアドベントに私たちも沈黙し、神の救いの喜びにあふれよう。