イースターからの始まり(2021/4/4) 熊江秀一牧師
主の復活とは死に対する勝利の出来事である。死を越えた新しい命の始まりである。二人のマリアが主の墓に向かっていた。愛する主を十字架で失った二人は深い悲しみの中にあった。
この姿は、悩みや悲しみを持ちつつ、主を求めて生きている私たちの姿と重なる。ここで大切なのは、二人が悩みを持ったまま主のところに向かったことである。そこから全てが始まった。この二人が最初に復活の主と出会い、復活の主の証人となった。
二人は主の天使から御言葉を受ける。主が予告していたその言葉を二人は失っていた。しかし主は天使を通して再び与えた。
彼女たちはまだ復活の主に出会ってはいない。しかし御言葉によって主の復活を告げ知らされた二人は「恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り」主の復活を弟子たちに知らせるために走って行った。
するとこの二人の前に復活の主イエスがお立ちになって声をかけた。
復活の主はここで特別なことを語りかけてはいない。「おはよう」と朝の挨拶をしているのみである。復活の主との出会いとは特別なことではない。私たちの日常のただ中で出会って下さる。
さらに「おはよう」(カイレテ)は「平安あれ」(口語訳)「喜びなさい」(原意)という意味がある。復活の主は自ら出会って下さり、平安と喜びの挨拶をして下さる。
そして二人は弟子のもとに遣わされ主の復活を告げる。同じように復活の主と出会った私たちも遣わされ、復活の主の恵みを証しする者となる。
主の復活の恵みに生きるとは、この希望に生きることである。
「涙と共に種を蒔く人には、喜びの歌と共に刈り入れる」。
このイースターから始まる新しい歩みに、復活の主の平安と祝福があるように。