誰よりも悔いておられる方がいる(2020/08/09 高橋真之伝道師*説教音声あり
「誰よりも悔いておられる方がいる」
ホセア書11章8~9節/マタイによる福音書11章20~24節
高橋真之伝道師
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「お前は不幸だ。」という大変厳しい言葉をイエス様は語っておられます。私達はイエス様がどんな小さい者をも見捨てない愛の方であることを知っています。しかしその愛の姿とは、一見すると真逆の厳しい姿がここにはあるのです。なぜイエス様はこのように厳しい裁きの言葉を語っているのでしょうか。
イエス様が裁きをお語りになった町々の問題点とは、イエス様が奇跡をおこなったのに「悔い改め」なかったことでした。悔い改めない、それは自らの罪を認めて神様に立ち返らないこと、神様に背いていることです。そして、聖書はそのような悔い改めない者のいく先は滅びでしかないことを語っているのです。そしてだからこそイエス様は仰るのです。
「お前は不幸だ。」 しかし、イエス様はこれらの町々を見捨てられたのではありません。ここで使われている「不幸だ」という言葉、これは日本語にすれば「あぁ」というような深い嘆きを表す言葉が使われています。私たちが本当に残念に思うとき、思わず口からこぼれ出る言葉、それがここで使われている「不幸だ」という言葉に込められた意味なのです。つまり、イエス様はここで怒りや失望よりも何よりも、彼らが悔い改めなかったことを深く悔いておられるのです。
イエス様の目には滅びに向かう彼らの姿が見えています。そして、イエス様は彼らがそのままであっていいとは思われませんでした。ですからイエス様は厳しい裁きの言葉を語るのです。しかし、裁きの言葉に込められたのは断罪ではなく、愛。つまりイエス様は、「あぁコラジンよ。あぁベトサイダよ。あぁカファルナウムよ。なぜあなたたちは悔い改めないのか。滅びに向かうのではなく、悔い改めて救いに生きてい欲しい。」このことを裁きの言葉を通して語っているのです。