礼拝説教要約「キリストの復活」 (2025/4/20)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マタイによる福音書 28章1~10節 詩編 66章1~9節
キリストの復活は死に対する勝利の出来事である。死を越えた新しい命の始まりである。週の初めの日の明け方、二人のマリアが主の墓に向かった。愛する主イエスを十字架で失った二人は深い悲しみの中にあった。
この姿は、悩みや悲しみを持ちつつ、主を求めて生きている私たちの姿と重なる。ここで大切なのは、二人が悩みを持ったまま主のところに向かったことである。そこから全てが始まった。この二人が最初に復活の主と出会い、復活の主の証人となった。
二人は主の天使から御言葉を受ける。主が予告していたその言葉を二人は悲しみの中で失っていた。しかし主は天使を通して再び与えた。
二人はまだ復活の主に出会ってはいない。しかし御言葉によって主の復活を告げ知らされた二人は「恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り」主の復活を弟子たちに知らせるために走って行った。
するとこの二人の前に復活の主イエスがお立ちになって声をかけた。
復活の主はここで特別なことを語りかけてはいない。「おはよう」と朝の挨拶をしたのみである。復活の主との出会いとは特別なことではない。主は私たちの日常のただ中で出会って下さる。
さらに「おはよう」は「平安あれ」(口語訳)「喜びなさい」(原意)という意味がある。復活の主は自ら出会って下さり、平安と喜びと祝福の挨拶をして下さる。
そして二人は弟子のもとに遣わされ主の復活を告げる。同じように復活の主と出会った私たちも遣わされ、復活の主の恵みを証しする者となる。
主の復活の恵みに生きるとは、この希望に生きることである。
「来て、神の業を見よ。人の子になされた恐るべき業を」。
このイースターから始まる新しい歩みに、復活の主イエスの恵みと祝福があるように。