礼拝説教要約「わたしを愛しているか」 (2023/4/30)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

ヨハネによる福音書 21章15~19節  申命記 6章4~15節

■説教要約

復活した主と再会したペトロに、主イエスは牧者として召命を与える。湖畔での朝食の後、主イエスはペトロに向かって「ヨハネの子シモン、この人たち以上に、わたしを愛しているか」と問いかけた。

この問いの言葉には二つの意味がある。一つは「これらのもの以上に、わたしを愛するか」。舟や網、道具を目の前にして、漁師としての世の誉れ以上に主を愛するかという意味である。 

もう一つは文字通りの「この人たち(他の弟子)以上に、わたしを愛するか」である。

この問いには最後の晩餐の時「みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と誓ったペトロが3度主を知らないと拒絶したことがあった。それは彼の心の傷となっていた。主はペトロの心の傷を、3度の問いと主への愛の誓いによっていやそうとされた。

しかしペトロの誓いは不十分だった。主はアガペの愛で「わたしを愛するか」と問うたのに、ペトロはフィリア(友愛)で「愛しています」と答えた。ペトロは主の愛が分かっていなかったのである。主はそんなペトロをも受け入れた。むしろ主は3度目の問いをアガペからフィリアに変え、主の方がペトロに歩み寄り、3度主への愛の誓いをさせて、ペトロの心をいやした。

そして復活の主はペトロを牧者としてお立てになる。「わたしの羊を飼い(御言葉で養う)、世話をしなさい(牧会)」。ペトロは主によって最初の牧師として召され立てられた。この主の命令は今や牧師、信徒(万人祭司)、教会全体に与えられている。

主はペトロの最期も予告する。主を否んだペトロは神の栄光を現わす最期を遂げる。

「わたしを愛しているか」との主の問いかけに応え、主を愛する群れとして、その使命に生きよう。


 





  



 

  

 

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