礼拝説教要約「この人を見よ」(2026/3/29)を掲載しました
担当 熊江 秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヨハネによる福音書 18章38節b~19章7節 イザヤ書 53章1~12節
ローマ総督ピラトは一人の人を示し「見よ、この人だ」(ラテン語「エッケ・ホモ」)と言った。この人とは主イエスである。
ピラトの裁判によるイエスに対する結論は「私はあの男に何の罪を見いだせない」であった。それで過越祭の慣例によって主イエスを釈放することをユダヤ人たちに提案した。しかし彼らが釈放を求めたのは強盗バラバであった。ユダヤ人たちは愛と信仰に生きた主イエスよりも暴力に生きた強盗の方を選んだのである。これは私たちの姿であり、決して他人事ではない。
ピラトは驚き、主イエスを捕らえ、鞭で打たせた。さらに兵士は茨の冠を主イエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、「ユダヤ人の王、万歳」と侮辱し平手で打った。ピラトはそうすることで、こんな惨めで無力な男が「ユダヤ人の王」であるはずがないと、イエスの無罪を示そうとした。
そしてピラトはイエスを人々に引き出し告げる。「見よ、この人だ」。
しかしピラトの思いとは裏腹に祭司長たちは「十字架につけろ」と叫び続けた。
「この人を見よ」。私たちは茨の冠をかぶり、鞭打たれ、十字架にかけられるイエスの姿に何を見るのか。
私たちはこのイエスに見る。神が私たちに与えた苦難の僕を。その方によって成し遂げられる神の愛と救いを。それはイザヤ書53章で預言された。
イザヤは告げる。弱々しく、人々に見捨てられ、病と痛みに苦しむ苦難の僕である主の僕の姿を。この主の僕の苦難によって、その死と執り成しによって、私たちはいやされ、平和が与えられたことを。
讃美歌280番にもこの主のお姿が「この人を見よ」と歌われる。 私たちも十字架の主イエスを見つめ、神のこよなき愛を、神の救いを見て、受難週を歩み、イースターを祝おう。

