礼拝説教要約「いちじくの木から学ぶ」 (2025/6/29)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  マルコによる福音書 13章28~37節   イザヤ書 40章1~11節
  
 小黙示録のまとめの箇所が与えられた。主は2つのことを教えた。

 一つは「私の言葉は決して滅びない」。これは「いちじくの木」のたとえの中で語られた。主はいちじくの木で季節の変化を見るように、歴史を見据えて、終末が近いことを悟るように教える。

 終末の到来を示す、最大の出来事は、主イエスの到来である。それを見据えて、神の国の始まりを知って生きるのである。それと共に見据えるべきことは、天に帰られた主が、再び来られ、神の国が完成することを知って生きることである。

人間の歴史には戦争のような罪の出来事、自然災害、個人の病気等、思いがけない出来事が起こる。主は、その時、神の国が近いことを悟るように告げる。なぜか。天地が滅びても「主の言葉が決して滅びない」からである。

 この主の教えは、神殿に目を向け語られた。私たちにとっては教会である。そこにおいて御言葉が語られる。教会はそこに集中する。滅びることがない主の言葉に堅く立ち、御言葉に生きる群れである。

 御言葉に生きる者の姿として、主はもう一つの教え「目を覚ましていなさい」を告げた。世の終わりの時は父のみしか分からない。だから目を覚ましているのである。

主はその姿をたとえで教えた。主人である主イエスは僕である私たちにご自分の仕事を割り当てて旅に出た。私たちは、主の仕事(宣教)を託された者として「目を覚まして」主の使命に生きるのである。その時、僕たちは、交代して主人の仕事に仕えた。私たちも教会の中で、互いに助け合い「目を覚まして」主の使命に生きる。 そこに私たちの霊的な成長もある。

 十字架を前に主が語られた2つの教えを心に刻み、決して滅びない御言葉に堅く立ち、目を覚まして、終末の時を歩もう。

 



  



 

  

 

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