新しい墓(2020/08/16 熊江秀一牧師*説教音声あり
「新しい墓」
詩編88章2~14節/ヨハネによる福音書19章38~42節
熊江秀一牧師
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主の十字架の最後、埋葬の場面が与えられた。主の死と葬りはセットになっている。それは主の死が確かで、私たちと同じ肉体を持って死なれたことを示すためである。さらにそれは主の死による新しい時の始まりを示すためである。
この時、アリマタヤ出身のヨセフとニコデモという二人の主の弟子が登場する。主を信じ、社会的な地位と財産を持つ彼らには恐れるものはないだろうと思ってしまう。しかし彼らは人の目を恐れていた。そして信仰を公にできず、隠していた。
しかしこの時の二人は全く違う。ヨセフはピラトに主の遺体を引き取ることを求め、ニコデモは埋葬のために没薬と沈香を持って来た。なぜか。主の十字架の死が彼らから恐れを取り去ったのである。カルヴァンは二人の変化の理由は分からないが、聖霊がそこに働いていると言った。主が十字架で死なれ、神の救いの計画が成し遂げられた今、恐れではなく信仰と勇気の霊が私たちに与えられる。その新しい時が始まった。
ヨセフとニコデモが主を埋葬した墓は「新しい墓」であった。ヨセフが自分の死の時のために用意した墓に主を納めたのである。またニコデモも自分の死の時のために用意しておいた物を主に塗った。そこに彼らの慰めがあった。そしてその時、彼らは究極の恐れである死の恐れさえも消えていった。それまで墓は人生の終わりの場所、慰めなき闇の場所であった(詩編88編)。しかしその墓に主イエスが来て下さった。その時、墓は新しい命の出発点となった。
バッハは「ヨハネ受難曲」でこの箇所を歌う。「この墓こそが天の扉を開き、地獄の門を閉ざしますように」。私たちはもはや死を恐れることはない。死を越える主の信仰の道を歩もう。