礼拝説教要約「クリスマスの奇跡」 (2024/12/22)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ヨハネによる福音書 1章14節~18節 イザヤ書 53章3節~6節
「言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た」。この御言葉にはヨハネのクリスマスが集約される。
「言は肉となって」は受肉。永遠で無限である方が、限界ある姿となり、最も低くなられたという驚くべき出来事である。
アドベント(原意・到来)は、アドベンチャー(冒険)と同じ語源である。ゆえにアドベントには冒険という意味が含まれる。神は危険を冒して、人となり私たちのもとに来るという大冒険をなさった。何故か。神の愛ゆえである。愛とは危険を冒してでも愛する者を救いたいと願う。神は罪に満ち、滅びに向かう人の姿を見て、愛ゆえに人となって「私たちの間に宿った」。この原意はテントを張るである。神はつつましく、無防備とも言える姿で来られた。ベツレヘムの馬小屋での主イエスの誕生はその姿である。
そしてこのお方はイザヤ書53章のように苦難の僕となって十字架にかけられる。私たちの救いために、愛ゆえにそうされた。
私たちはこのお方によって、神の「栄光を見た」。神の栄光は、私たちを愛し、人となられ、私たちの罪を背負って十字架にかかられたイエス・キリストによって現された。
そしてこの主イエスの豊かさによって私たちは「恵みの上に、更に恵みを与えられた」。私たちは恵みの連鎖の中に生かされている。
私たちはこのお方によって神を知る。「父の懐にいる独り子」である主は、赤ん坊が母の胸元に抱かれ母の心臓の鼓動を聞いて育つように、父なる神のみ胸におられ、御心を知っておられる。さらに主は愛する弟子をご自分の胸に抱かれる(ヨハネ13:35)。主に抱かれた私たち弟子はその中で神の御心を知る。
このクリスマスの奇跡、神の受肉に感謝し、その恵みに生きよう。