礼拝説教要約「植える人、水を注ぐ人」(2024/8/11)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
コリントの信徒への手紙一 3章1節~9節 ヨブ記 28章12節~28節
コリントの信徒たちは、自らの成長を願っていました。自分たちを賢くしてくれる、成熟した大人にしてくれる、優れた指導者を求めていました。人が成長と繁栄を望むのは自然なことです。しかし、コリントの人たちには問題がありました。それは、互いの間に妬みや争いがあったからです。だから「私が植え、アポロが水を注ぎ、」パウロは教会の奉仕を農作業にたとえました。ローマ帝国では農業従事者は最下層の仕事でした。これは、偉くなろうとしているコリントの人たちに、しもべのようになりなさいとの、パウロのメッセージです。
植える人、水を注ぐ人の努力は相当な価値があります。しかし、神様が与えてくださる成長は、人間の努力とは比べ物にならない価値がある。人間が代わって与えることは決してできません。ミステリアスであり、捉えきれないほど大きいのです。
讃美歌91「神の恵みゆたかに受け」この讃美歌は、分け隔てなく共に働こう、と元気に私たちを誘います。共に成長する喜び、共に働くことの楽しさを、本当は私たちは知っています。教会の大掃除やバザーなどで共に働くとき、一緒に働く人の学歴、収入などいっさい気になりません。どちらが優秀か、などと比べることもありません。私たちは同じ目標に向かって働くとき、仲良く、楽しく働くことができます。
誰もが自分の成長だけを望んではいないのです。でも不安だから、承認してほしいから、頑張らなきゃいけないから、優越感と劣等感で心がいっぱいになって、妬みと争いが生まれるのです。
イエス様は共に生き、共に歩み、共に食事し、共に泣きました。ご自分のすべてを他の人のために献げました。私たちもイエス様に倣うものとなる。似たものへと変えられていく。その希望の中を生きています。