礼拝説教要約「復活の朝の食事」(2024/4/14)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所(新共同訳)
ヨハネによる福音書 21章1節~14節 イザヤ書 61章1節~3節
ヨハネによる福音書21章は、付け足し、補足ではありません。物語の完結(エピローグ)です。序章(プロローグ)である1章で光を語り、光に包まれた21章で終わるのです。鍵をかけた部屋に閉じこもっていた弟子たちを、故郷ガリラヤの光の中へとイエス様は救い出すのです。弟子たちは慣れ親しんだ土地で、苦楽を共にした仲間と漁をして癒されるのです。
「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」魚は獲れなかったのに、イエス様の指示により大漁になりました。人間の力だけでやる仕事は失敗する。イエス様の指示に従えば、想像もしていなかったような収穫が得られるのです。
「さあ、来て、朝の食事をしなさい」。イエス様は朝食を用意してくださいます。悲しくて泣いた夜、泣き疲れて眠り、朝を迎えても悲しいまま。でも朝の光から、微かながら、ほんの僅かですが希望が生まれ始めます。食事は、怒ったまま、泣きながら食べることはできません。力を抜いて、一旦悲しい気持ちを横に置いて食べ始めると、気持ちは落ち着いて来て安心します。光の中、朝の食事から立ち直りは始まります。
「あなたはどなたですか」弟子たちは問いただそうとはしませんでした。主であることを知っていたからです。弟子たちは目配せをして、うなずき合ったでしょうか。そこにはもう不安はありません。イエス様がセッティングしてくださった故郷での再会をとおして、弟子たちは癒されたのです。
讃美歌472「朝ごとに主は」は朝の歌です。主であるイエス様は、私たちにいつも素晴らしい朝を与えてくださる。そこで立ち直らせてくださる。「朝の食事をしなさい」元気に生きなさい、光の道を歩きなさい、背中を押してくださいます