礼拝説教要約「嵐の中の主」(2024/1/7)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
マルコによる福音書 4章35節~41節 詩編 107章21節~31節
■説教要約
嵐の中の奇跡が与えられた。舟の上から説教した主は、弟子と共にガリラヤ湖を横断して向こう岸に渡った。その途中、主は眠られる。その間に湖は嵐となる。弟子の4人はこの湖の漁師であった。彼らはこの湖で舟に乗ることに知恵と経験があった。そんな彼らの自信は崩れ去る。
弟子は主を起こし「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と非難する。主は弟子の目の前におられた。主が共におられることを一番実感できる中にいながら、主に文句を言った。この姿は私たちの姿である。主が共におられることを確信して祈るべき時に、主を見失い祈れなくなってしまうのである。
しかし主は弟子の不信仰にもかかわらず、嵐を静めて彼らを助けた。主は弟子の祈りにならぬ声さえも、主を非難する叫びさえも聞いて、嵐を静めて下さった。
そして主はこの奇跡と共に問いかける。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」。これは私たちへの問いでもある。私たちは何を恐れ、何を信じるべきか、常に問われる。弟子たちは自分の信仰の弱さを思い知らされた。そんな彼らに主は神のみ力を示し、救いを備えて下さった。
この時のように主は不信仰な私たちのために、まず十字架で救いを実現された。そして私たちの信仰を問い、私たちを招かれる。
弟子は「この方はいったいどなたなのだろう」との思いを抱く。ここから彼らのまことの信仰が芽生える。
嵐の中の舟は私たちの人生や、教会とも言える。主はその舟に共におられ、私たちの祈りにならぬ叫びさえ聞き、嵐を静めて下さる。その時、信仰は鍛えられ、新たな人生の航海に旅立てる(詩編107:2以下)。
主が私たちの舟に共におられることを思い、この年も主を喜び、希望の港に向かって出航しよう。