「人はパンのみで生くるにあらず」(2018/07/22 高橋真之伝道師)
「人はパンのみで生くるにあらず」申命記8章1節~10節/マタイによる福音書4章1節~11節
高橋 真之伝道師
主イエスは、荒野で悪魔から石をパンに変えるように誘惑された時に「人はパンのみで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と高らかに宣言し、その誘惑を退けた。
しかし、私たちはこの主イエスの御言葉に、驚きと戸惑いを覚えるのではないだろうか。私たちは、食べ物がなければ生きていくことはできない。世界に目を向ければ、食べ物が手に入らずに飢え死ぬ人が多くいることを知っている。すると主イエスのこの言葉は、あまりにも現実に即していない。理想を語っているにすぎないような言葉として、私たちには聞こえてしまう。
それではなぜ、主イエスは石をパンへと変えることをなさらなかったのだろうか。
それは、主イエスが私たちの飢えを知らなかったからではない。むしろ人として生まれた主イエスは、私たちの飢えや渇きを良く知っておられた。しかし石をパンに変えることは、一時救われても、本当の救いにはならないからこそ、主イエスはこの誘惑を退けたのである。
「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」。これは、神の御言葉によって導かれて生きるということである。そのように私たちが生きる時、主イエスの十字架の救いへと導かれる。私たちにとって、この十字架こそが滅ぶことのない本当の救いなのである。
私たちの肉体はいくらパンが与えられたとしても、いずれ滅び、朽ちゆく。しかし、神の御言葉によって歩むとき、私たちは滅びの先を見つめることができる。主イエスはそのことを私たちに伝えているのである。私たちは希望をもって、この十字架に向かって歩もう。