礼拝説教要約「手引きしてくれる人」(2023/6/25)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所
使徒言行録 8章26~38節 エゼキエル書 34章1~6節
■説教要約
エチオピアの宦官は迷える子羊でした。彼はお金持ちでしたが、外国人であり、宦官であったため、救いの外に置かれた人、魂の危機にある人でした。
フィリポは、迷子の羊を探して見つけ出す良い羊飼いです。彼はどんな僻地でも霊の導きに身を任せて、失われたものを捜して救うためにすぐに出かけて行きます。彼は好奇心に動かされて馬車に走り寄ると、意外にも聖書の朗読が聞こえてきます。彼は驚いて、喜びながら問いかけます。「読んでいることがお分かりになりますか?」丁寧に、日常の挨拶のように話しかけ、目標など立てず、流れに沿うように対話するフィリポのスタイルは、私たちがつい身構えてしまう「伝道」の意識を和らげてくれます。
「手引きしてくれる人がいなければ、どうして分かりましょう」この素晴らしい聖句はエチオピアの宦官が言いました。聖書は一人では分かりません。手引きする人が必要です。そして、手引きする人にもまた、手引きしてくれる人が必要なのです。
礼拝に集まる私たちには「手引きしてくれる人」がいました。私たち全員が、です。その人はどんな人だったでしょう? その人は偉そうではありませんでした。「導いてやったんだ」などと恩着せがましく言わない、一緒に学びましょうと言う態度の人でした。負担を強いることをしませんでした。そして、群れの仲間になったことを見届けると、フィリポのように鮮やかに身を引いて一匹の羊に戻りました。手引きしてくれた人はみんな良い人でした。そのことが分かります。なぜなら、そのような人でなければ、手引きしてもらおうとは思わないからです。
手引きしてもらった私たちが、今度は手引きをする人になる、そうなれたら嬉しいと思います。