礼拝説教要約「主の道を整えるために」(2023/5/14)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
マルコによる福音書 1章2~8節 イザヤ書 40章1~5a節
■説教要約
マルコは印象的な冒頭の言葉に続き、イザヤ書を引用し、その実現を宣言する。
この引用は厳密にはイザヤ書、出エジプト記、マラキ書からで、旧約聖書全体に及ぶ。罪と滅びから解放するメシアの到来と、その道を整える使者の預言である。この使者は再来のエリヤだと考えられていた。マルコは、このメシアに先立つ再来のエリヤの実現として、洗礼者ヨハネが現れたと宣言する。
ヨハネは「荒れ野に現れて」「悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」。荒れ野とはイスラエルが出エジプトの旅を経験した所であった。それは罪の自覚と共に、神の恵みを経験した時であった。洗礼者ヨハネはこの荒れ野に人々を招き、神の前に罪を悔い改めて、メシアを待ち望むために洗礼を授けた。
ユダヤ人は洗礼を受ける必要はなかった。しかしヨハネは異邦人だけでなくユダヤ人も悔い改めの洗礼を受けることを説いた。すべての人が罪人だからである。だからメシアの到来の前に、罪を悔い改めて洗礼を受けるのである。
ヨハネはこのメシアを「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と告げる。「優れた方」は「聖霊で洗礼をお授けになる方」である。ヨハネの洗礼は水の洗礼(人の側の準備の洗礼)。しかし優れた方の洗礼は聖霊による洗礼(神の救いの実現の洗礼)である。今や主イエスの洗礼は、父と子と聖霊の名によって教会で授けられる。
さらにこの「優れた方」は私たちの憂いも罪もすべて担って下さる。この方は私たちに代わって十字架にかかり、私たちを贖い、復活して新しい命を与えて下さった。
ロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」で、ヨハネは肩越しに後ろを指差しメシアを示した。私たちも悔い改め、ヨハネが指し示すメシア(キリスト)を見上げて歩もう。