礼拝説教要約「愛には恐れがない」(2023/1/8)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
ヨハネの手紙一 4章13~21節 ヨシュア記 1章5~9節
■説教要約
この手紙のクライマックスの後半「愛には恐れがない」との確信の言葉が与えられた。私たちの現実はそれとは正反対である。愛ゆえに不安や恐れを感じる。
それではこれは幻想か。そうではない。
これは神の愛に対する確信である。私たちは神の愛を「知り」「信じる」という神との交わりの中で、恐れから確信へ変えられてゆく。
この手紙は、この確信のカギとなる姿を「我、神の内にとどまり、神、我がうちにとどまる」という言葉で3回告げる。ヨハネ教会が大切に伝えてきた教えである。
この教えの源は、主が語られた「ぶどうの木のたとえ」である(ヨハネ福音書15章)。
ぶどうの木に「つながる」と「とどまる」は同じ言葉である。この交わりは、ぶどうの木である主イエスに、枝としてつながる私たちの姿であり、その交わりの中で豊かな実を結ぶ姿である。その中で「恐れは締め出され」愛は確信へ変えられてゆく。
さらにこの神との交わりを私たちに実感させ、確信させるものを3つ告げる。
一つは「聖霊」(13節)。二つ目は「信仰告白」(15節)。三つ目は「神の愛にとどまる」である(16節)。この3つによって「我、神の内にとどまり、神、我がうちにとどまる」という交わりが与えられ、愛の確信が与えられる。
この交わりに生きる者は、この世の中で「イエスのようである」。私たちはイエスに似た者として立てられている。
この手紙は最後に、再度「互いに愛し合う」ことを命じる。神の愛の交わりに生きる者は、目に見える兄弟姉妹を愛する。
なぜなら神は愛だからである。多くのキリスト者の墓石に「神は愛なり」と刻まれる。
私たちも神との交わりの中で、神の愛の確信をいただき、「神は愛なり」と告白しつつ、イエスに似た者として歩もう。