「主イエスとニコデモ」(2018/04/29 熊江秀一牧師)
「主イエスとニコデモ」 エゼキエル書37章1節~6節/ヨハネによる福音書3章1節~21節
熊江 秀一牧師
ニコデモは信仰的にも社会的にも尊敬された人物だった。そんな彼が、夜、人目をはばかりつつも、本当の救いを求めて主イエスを訪ねた。
主イエスはニコデモに「人は、新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」と告げる。「新たに」とは「上から」とも訳すことができる。主はそれを「水と霊による」と告げる。これは洗礼(バプテスマ)である。私たちは水が注がれ、上から聖霊を受けることで、罪に死んで主のものとして新しく生まれるのである。
主はこの精霊を風に例えて語る。目に見えない風に包まれて生きるように、私たちは聖霊に包まれ、聖霊に導かれて生かされている。しかしニコデモはこの言葉を受け入れることができなかった。このかたくなな心を打ち破るのは、神の愛のみである。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と主は告げる。
「与える」は「捨てる」とも訳すことができる。独り子を捨てる神の愛、これは御子を十字架にかける神の愛である。14節で主イエスは民数記21章を引用して「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」と告げる。罪の裁きによって死ぬべき民が、高く掲げられた青銅の蛇を仰ぐことによって命を得たように、主が十字架に上げられることにより、信じる者は永遠の命を得るのである。
ニコデモはこの後、7章、19章に登場し、主イエスの弟子となったと思われる。かたくなな心を神の愛が溶かし、ニコデモは新しく生まれた。私たちも独り子をお与えになる神の愛を心に刻みつつ、水と霊により新しく生まれた恵みの中を歩もう。