礼拝説教要約「今既に神の子」(2022/10/30)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

ヨハネの手紙一 3章1~10節   出エジプト記 34章29~35節

■説教要約
 
 ヨハネの手紙一は、神の愛を「考えなさい」と語る。
考える(Think)と感謝(Thank)は深い関係にある。また「考える」は「見る」とも訳せる。私たちは神の愛(キリスト)をしっかりと見て、考えることで神への感謝が生まれる。

 この神の愛によって、私たちは「今既に神の子」とされている。罪を犯し、神の敵のような現実であった私たちが、御子の十字架のあがないによるに神の愛によって、今、既に神の子とされている。ここに私たちの生きる土台がある。

 そして神の子とされている私たちは、「御子が現れるとき、御子に似た者となる」。使徒パウロも、私たちは「主と同じ姿に造りかえられていきます」(Ⅱコリント3:18)と告げた。

「今既に神の子」である私たちは、キリストが再び来られる時、御子と直接にお会いし、御子と同じ姿になる。その時に向けて、私たちは聖霊に導かれ、キリストに似た者として主を証しして歩む。

 さらにこの手紙は、御子に似た者であるキリスト者の姿を告げる。一つは「自分を清める姿」。一つは「互いに愛し合う姿」である。
 「自分を清める」とは、私たちが罪の生き方ではなく、御子のあがないの恵みに生きることである。この恵みに生きる者には「神の種」が与えられている。「神の種」によって私たちは罪から離れ、清められて、よき実を結び、神の子として御子に似た者としてむ。

 また「神の種」いただいた私たちは「互いに愛し合う」愛の実をみのらせる。宗教改革記念の礼拝にあたり、この手紙が告げる福音の原点に立ち帰ろう。神の愛の中で、今既に神の子とされていることを心に刻み、キリストに似た者として、主と同じ姿となることに希望を持って、主を証しし、主の愛に生きよう。


 

  

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です