礼拝説教要約「怒ることがあっても」(2022/8/28)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所
エフェソの信徒への手紙 4:17~32 ミカ書 6:1~8
■説教要約
パウロは私たちに命じました。7つの「するな」と、7つの「しなさい」、合計14の命令です。
重い荷物を背負わされたかのように感じてしまいます。
「古い人を脱ぎ捨て」新しい服を着る。新品の服はまだ似合わないし、気恥ずかしいし、体に馴染んでないから着心地も悪いでしょう。それに対して着慣れた古着は楽です。古い人、それは、子供の頃から慣れ親しんだこの世のライス・スタイルのことです。
私たちはこの世の流れに身を任せようとします。それを「自由」とか、「ありのままの自分」とか、「柔軟性」などと耳に心地いい言葉で納得しようとしますが、それはたいてい、自分勝手であり、惰性と怠惰への言い訳です。
古いものを捨てて、新しいものを身につける。新しさへ移る勇気が問われています。
今、怒っている人は、怒りの言葉を喜びの言葉に変えることができる! 今、他者から搾取をしている人は、困っている人を助ける人へと変わることができる! なぜなら、私たちは「キリストに結ばれて」いるから。イエス様が私たちの心に住んでくださっているからです。
讃美歌520番「真実に清く生きたい」は、23歳のアメリカの宣教師が、母に宛てた手紙の中の一節が歌詞となっています。「清く生きたい」。生きた、生きている、ではなく、生きたい、つまり願望です。「強くありたい」。強くある、ではなく、強くありたい、との願いです。彼は「弱さを自覚し」ています。
「ゆく手はなお遠い」、彼は正直に、できないことを告白しています。でも、それは未来への希望なのです。
私たちもそうです。イエス様の弟子としてふさわしく生きたい、悪意を捨てたい、赦し合いたい。願っているのです。私たちは御言葉を聞いて、主につくり変えていただくことを願い、その希望の中を歩んでいます。