礼拝説教要約「新しい人を身に着けて」(2022/06/12)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
エフェソの信徒への手紙 4章17~24節 創世記 19章16~26節
■説教要約
パウロは異邦人であるエフェソ教会の信徒に「もはや、異邦人と同じように歩んではなりません」と勧める。これは、異邦人のようなかつての神なき生活に戻ってはならないということである。
この勧めは私たちにも語られている。私たちも神から遠い異邦人だった。そんな私たちがただキリストの恵みによって神の民として招き入れられた。しかし私たちが神なき生活に逆戻りする時、その恵みは失われてしまう。
神なき生活を歩む時「愚かな考えに従って歩み」「知性は暗く」なる。知性は神が人に与えた輝かしい賜物である。しかし神を見失う時、知性は暗くなる。20世紀は科学技術が進歩し、知性が輝く時になると思われていた。しかし現実は闇が明らかになった。2度の世界大戦。核兵器の開発。環境破壊。豊かさの中での心の荒廃・・。そしてその結果「神の命から遠く離れて」しまった。
また「無感覚」となり共感の心を失い「放縦」「ふしだら」にふけり、感情と欲望のとりことなった。それは滅びへと向かう道でる。だから私たちは「キリストについて聞き」「キリストに結ばれ教えられ」、キリストに神の「真理」があることを学ばねばならない。
その中でパウロはエフェソ書のカギ「エン・クリストー」(キリストにおいて)と語る。私たちはキリストにおいて、キリストの恵みの中で、救いが与えられている。私たちはいつもその救いの原点に立ち戻る。
救いの恵みに生きる者は「古い人を脱ぎ捨て」「心の底から新たにされて、新しい人を身に着け」た人である。それはキリストを着ることであり、具体的には、洗礼による恵みの出来事である。私たちはキリストを着た新しい人として命の道へ歩み、共に信仰の旅を歩もう。